失敗そのものの人生だったからこその帳尻合わせ

無駄なことだらけ後悔だらけ
「人生に無駄なことは何もない」と
googleのおすすめ記事が表示された
今までの私の「私不在の人生」は
無駄じゃなかったのだろうか?
改めて考えてみた…
考えても…何もない
実体がないのだから致し方がないこと
奴のモノだったから致し方ないこと
「私不在」の私の人生は
100%無駄なことの積み重ね
無駄な頑張り
無駄な忍耐
無駄な犠牲
無駄な‥‥きりがない
きっと無駄じゃなかったことも
沢山あったのだろうけど
ただ「私不在」の私の過去に
正解なんてあるはずもない
「生きていた」
ただそれだけが正解で
それが全てだ
そして
「今」が正解
「今」にたどり着いた
「今の私」が正解
だから
「奴の不倫」は大正解
笑顔でいても悪いことも良いことも起きる
今日のgoogleのおすすめ記事は
「いつも笑顔でいるあなたに
悪いことは絶対起きない」だ
心は潰されて
笑顔のまま空を見上げて苦しんで
叫びたいけど何もなくて
笑顔のまま涙も流さず泣いて
声を出して笑うことも忘れ
笑顔のまま全てを諦めて
人生を終えようとしていた私が
綺麗ごとだろうと何だろうと
しがみ付いていたのはそんな残酷な言葉
ずっとあのまま死ぬまで笑顔でいたら
死ぬ時も笑顔で
「ありがとう」と言ったのだろうか
掻きむしりたくても何もない
空っぽのままの最期
自業自得とは言え残酷過ぎる
だけど
それもやっと「終わる」から
どっちにしろ
最期の最期は心穏やかに逝ける…のか…
「いつも笑顔でいるあなたに
悪いことは絶対起きない」
その言葉を
フンって鼻先で笑って
「ふざけるなっ」って心で叫んでいる
私は今
笑顔じゃないけれど
私を傷つける人を
心で罵ってフンって蔑み笑う
私は今
不愛想な顔をしているけれど
後悔も平和も
後ろ向きも前向きも
日々の喜怒哀楽も自分自身も
しみじみ感じて楽しんで
人生面白いと心が笑っている
死ぬまで私は私を楽しんで
最期の最期まで私は私のままで
逝こうと思う
人生成功か大成功しかないらしい
今日のおすすめ記事
「失敗なんてない
人生 成功か 大成功しかない」
って…
まあね いいんだけどね
人それぞれでね
モラハラの世界は想定外だろうしね
きっとモラハラの被害者は
失敗も意味があるって
素直に受け入れて
そこから何かを学ぼうと頑張って
また加害者にとことん潰されるから
終いには
幸せになる必要なんてない
生きているだけで成功なんだってね
自分を追い込んで
逃げ道なんてなくなって
足掻いて藻掻いてあっぷあっぷで
それでも成功っていう…
私は・・・
「失敗」を認められたから
「楽」に生きられるようになった
奴と結婚したのが失敗だあ…とか
あそこで見切りをつけていれば…とか
自業自得…とか
「後悔」を受け入れられたから
「後悔したくない」って思うようになった
過去は後悔だらけ
人生は失敗そのもの
恰好悪いことでもないし
惨めなことでもない
だって
「今」を楽しんで
「今」を積み重ねようって
せっかくだから人生を楽しもうって
人生の帳尻をあわせようって
真剣に思えるようになったのだから
だから「今」で言えば
失敗は失敗でも
成功って言えば成功
だって
進んでいるからこその失敗だから
手探りで進んでいる証拠
自分の意思で決め動いた結果の失敗は
仕方ないって納得できて
そしてまた
次の手探りを始めるから
失敗も
成功って言えば成功
自分の心から生まれる幸せ
今日のおすすめ記事
「幸せは全て自分の心から生まれる」
ポジティブ思考に沿うように
どんな状況でも
都合良く物事を解釈してきた
事実は見ない
ここでは事実は事実でないから
だから
私に起こった事柄は受け流し
奴に都合よい事実が出来あがり
奴に都合よい解釈の強要があり
奴の気分でころころ変わる事実を
私は何も考えず受けいれた
自分ではどうすることも出来ない
日々は積み重なっていく
幸せの欠片も感じ取れない虚無感
そして無力感
それを罪悪に思うより
この囲われた現実が
私の幸せで
与えられた環境に感謝して
日々過ごす
きっとそれが「幸せ」
私のことを「幸せ」と
私以外の他人は言うから
きっと私は「幸せ」
「幸せ」と呼ばれる囲われた日々を
そうやって誤魔化しては
とっくに潰れていた精神を取り繕う
明け渡した心は何も感じないけど
きっと私は「幸せ」だ
「幸せは全て自分の心から生まれる」
いま私は
この変わらない環境で
間違いなく変わってきている
自分が在る
自分に意識を向けられる
「幸せ」になろうと思える「幸せ」
「幸せ」を感じる「幸せ」
だけど
「幸せ」って単語も過剰に使うと
鼻に付くんだなって
嘘くさいんだなって
「幸せ」の乱用をうっすら笑いながら
それでも
「幸せ」の意味が分かって良かったと
しみじみ思う