私は私を傷つける人に私をさらすつもりはない
「私は私を傷つける人に
私をさらすつもりはない」
今年の5月
全仏オープン開催中に
記者会見に応じないとSNSに投稿した
大坂なおみ選手の言葉だ
とても印象的だった
気持ちが引き締まる
自分に何度も言い聞かせた
今も言い聞かせている

出来る無視と出来ない完全無視
心の中で簡単に生まれる奴への悪意
良いとか悪いとか批判はせずに
否定も肯定もなくそのままに
一過性のただの雑念と
位置付けてはみたものの
次々と生まれれば一過性とも呼べず
加えて「無視」という形の
自己防衛は攻撃ときっと表裏一体で
そんな自分に嫌気が突き刺さる
突き刺さった嫌気で気分が滅入る

だけど私が
善良だろうと悪意に満ちようと
優しかろうと無慈悲になろうと
正しかろうと間違っていようと
笑おうと泣こうとわめこうと…
関係ないのが
奴のテンプレートで・・・
いつでも気分次第で
私を罵倒したかと思えば
何事もなかったように
穏やかな口調で話しかける
嘘も事実で事実も嘘
どこまでも自己中心的で
どこまでも自分勝手な世界観で
私の感情や存在を
完全に無視できる奴だから
私からの「無視」ぐらいじゃ
傷つく訳もないことは重々承知
だから
奴への悪意で私がダメージを負う
なんてばかばかしいこと
分かってはいるけど
滅入った気分は晴れない
それに
奴への悪意が生まれるということは
完全に無視が出来ていない証拠
どうでもいい奴に意識が向いている
気に入らない

「私は私を傷つける人に
私をさらすつもりはない」
心の中で何度も唱えると
気持ちが凛としてくる
凛としたまま
ここで気持ちを整える
罵倒され批判され否定される正解
奴に罵倒され
批判され否定される今の私は
きっと正解
奴が絡んで足を引っ張るのは
私が前に進んでいる証拠
同じ屋根の下
「完全無視」が出来ない自分も
きっとあたり前で
「無視」という私の攻撃性に
嫌気がさす自分も私らしくて
だから
「私は私を傷つける人に
私をさらすつもりはない」
この場所に留まるならそうするべき
何度も心でつぶやいて
揺らぎそうになる
私の立ち位置を確認しては
背筋を伸ばし気持ちを正す

「自分」が何なのか分からず
実感もなく
「幸せ」の意味も分からず
幸せそうに笑っていた私は
いま
涙も流れるし
声を出して笑うことも出来る
洗脳が解け悪夢から覚めれば
「自分」が分かり
「自分」を守らなければと思う
「幸せ」の意味もたぶん分かる
私にとっての「幸せ」はモノじゃない
感じることができる
「幸せ」を感じることができることの「幸せ」
そして

湧いてくる怒りや憎しみの感情
その感情が罪悪じゃないと知ったから
それを否定しないから
涙も流れるし
声を出して
笑うことも出来るようになった
だから今が正解
罵倒され批判され否定される
今の私が正解
悪意が湧く私も
悪意にうんざりする私も
出来る無視に嫌気がさす私も
出来ない完全無視が気に入らない私も
きっと間違っていない
ただ
どうでもいい奴のことより
自分のことに集中していたい
意識を自分に向けたい
だから
これからも私は
私を傷つける人に
私をさらすつもりは微塵もないし
私を傷つける人に
私をさらす必要がないことは
言うまでもなく当然のこと
と 私に言い聞かせる