富士山に挑戦しているのか自分に挑戦しているのか

日々のこと,脱モラハラ奇跡,挑戦

見えない足かせで繋がれて

奴の人生を生かされ
奴のために生き

そういうふうに
仕組まれていたこの世界で

夢も目標も自立することも
主体性も自発性も潰され

わたし自身を壊された私の

行動範囲は限られていた

だから

富士山に挑戦した自分が
奇跡のように思う

私が富士山に挑戦する奇跡

足首と膝のテーピングに
万が一のためのサポーター

おまじないのように
シールタイプの磁気も体中に貼った

身体のメンテナンス
毎日のトレーニングはこの日のため

だから不安は無かった

天空と地上の境のような
五合目から小さな一歩が始まった
この小さな一歩の偉大さを感じながら
 
無心で歩き始める

七合目を過ぎた辺りからの
ゴツゴツとした溶岩の
険しい登山道が楽しい

初体験の山小屋泊と食事と寝袋
激しい雨が降っている

小屋を出発する夜中には雨は止んで
頂上を目指す数珠つながりの
ヘッドランプの明かりに感動し
その列に加わっている自分に感動し

雲の隙間から見える街の夜景も
きらきら輝いているから
山頂からの眺望に期待したのも
つかの間

吹きっさらしの強風を体感し
寒さでしびれてきた指先の感覚
暗やみの中で雨は降ったり止んだり

息を乱すと途端に胸がキュッと苦しくなる
だから意識して薄い空気を
深くゆっくり吸い込む

胃液が逆流してゲップが止まらない

狭く険しい登山道の脇の
わずかなスペースに
しゃがみ込んでいる人がいる
介護されている人がいる

居るのがわかるけど

見えているのは
私が見ているのは
ヘッドランプに照らされた足元だけ

全身の倦怠感と脱力感

ここがどこらへんなのか
あとどれくらいで頂上なのか

何も考えられない

ただ
上に上にゆっくりと
立ち止まることなく一歩づつ
重い身体で登っていく

辛かった・・・はず・・・

山頂までの4時間の登りは
長かったようで短かかったようで
よく覚えていない😱

そして間違いなく感動する
と思っていた頂上では

感動よりも
ぼう然としていたような…
でも満足感はあったような…

薄暗いままの山頂は
眺望もないし雨も降っている

放心状態で
望みは無いご来光を待っていた

ご来光が見えていたら違ったのだろうか…
疲れは吹き飛び感動したのだろうか…

山頂の小屋で温かい食事をとる予定も
吐き気と食欲不振のままで
下山開始

砂利道がジグザグにどこまでも
どこまでも続いているのが見える

変化のない滑りやすい砂利道
膝に負担がかかるから気を遣う

幻想的な雲海と
雲の合間に見える景色のコラボが

果てしなく単調な砂利道を
一瞬だけ忘れさせてくれるけど

砂利道は延々と続いている

登山の過酷さを忘れさせる
下山の過酷さも

下りたら忘れてしまうのだろうか?

「何で毎年こんな辛い思いしているの?
私は一回で充分 もう富士山はいい」

「何でだろうね・・・きっと
下りると忘れちゃうんだよね」

登頂7回目の友だちの答えだ

下山に5時間かけ

天空から地上の五合目に着くころには
登頂し終えた大きな達成感で
確かに
気分は清々しい

だけど思ったよりも
感動はなく
癒されたいとか見当違いで
自然のパワーで満たされることもなく
疲弊困憊
果てしなく単調で過酷な下山を
絶対に忘れないように……
しないと……

そう思うそばから
体験したばかりの過酷さが薄れていく

富士登山の魅力も分からないのに

来年の富士登山に思いを馳せる
自分がよく分からない

次の日の
全身の激しい筋肉痛
4日間
私は使い物にならなかったけど

頑張った証のようで誇らしい

富士山に挑戦と言うより
自分への挑戦なのかも知れない


とか

よく分からないまま
また登りたいと強く思う奇跡

日本一の頂きを支える
裾野から五合目まで歩いてみたい
とか
そんなことまで思う始末

もう一つの奇跡

私たちが登った日は
奥高尾で知り合った山友だちが
下山する日だ

すれ違うかも知れない奇跡を思い
顔を上げた途端

彼女と目があった

登山と下山ではルートが違う
一緒になるのは限られた場所だから

偶然なのか奇跡なのか
印象的なことだった

たまたま奥高尾で出会って
たまたま富士山ですれ違う

そして二人
笑顔で一枚の写真に納まった

富士登山の魅力は
分からないままだけど

これは分かりやすく嬉しかったこと

奴を
心の中で罵って終わるはずの一日を
良い一日にするために行動する
私に

思いもよらない
富士登山のお誘いがきたように
そして富士山登頂したように

小さな奇跡が起きる

諦めるのを止めたから
思いを形にしようとしているから

小さな ”たまたま” が起きる

ただの偶然と一笑はしない

”たまたま” を
作り出しているのはきっと私

だから
小さな ”たまたま” が連なって
大きな流れになるように

私はこれからも
澱むことなく淡々と粛々と
流れ続けようと思う