既感染者の私が奴の涙と近所の偏見にどう向き合ったか

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コロナより怖いのは人間


私はコロナの既感染者だ
感染は6月前半のこと
言うまでもない経路は家庭内感染

病気のこともあり
ステロイドを25年以上服用していることもあり
検査と療養と臨床研究のための入院
そして
何事もなく退院したのだけれど…

奴の卑劣で姑息な涙に苛立ち

長い付き合いのお隣の偏見に

「コロナより怖いのは人間」と
実感することの
困惑からのやるせなさ

来るもの拒まず
誰彼かまわずの人付き合いも
整理すべき時がきたんだろうなと思う

変わらない人たちを見ていて
そう思う

既コロナ感染者になったからこそ
大事にするべき人たちがはっきり見える

奴の姑息な涙の謝罪の理由

親会社と取引先全員が
PCR検査を実施したため判明した

陽性の結果を受けてもなお
帰宅後すぐの手洗いうがいはなし
もちろんマスクは直ぐに外す

外してからの私への報告
リビングで保健所と電話のやり取りも
取引先への連絡もスマホのスピーカー

興奮気味でいつもより随分と声が大きい

保健所の聞き取り調査と取引先への報告は
自分に都合のいい嘘で一貫性はない

部屋に入っての
元不倫相手への報告も内容も
スピーカーと大声のためまる聞こえだ

「入院先が分かったら知らせてね」
「必要なものがあったら届けるからね」
なんとも有り難い元不倫相手の言葉

憶測だけど
ご執心の彼女へ連絡を入れないのは
症状があるにも関わらず会っていたため
彼女の感染有無よりも自己保身というか
責任逃れというか…知らんぷり

そのうち連絡は入れるはず…憶測だけど

次の日奴は入院した
家族は誰も奴の入院先を聞きもしない

その2日後
私はかかりつけの病院に入院した

奴から電話があった
「俺が陽性になったばかりに・・・」
「お母さんに何かあったら・・・」
「どうしようかと思って・・・」
「ごめんな・・・」
「うっうっうっ・・・・・・」

・・・は嗚咽を想像して読んで欲しい

嗚咽で声にならないのだ
胸くそ悪いとはこのこと
何を謝っているのだろうか

”陽性” を誰も責めてはいない
誰が感染してもおかしくないご時勢
謝るのはそこじゃない

コロナ禍での不適切な行動
無神経さ気遣いのなさ
お粗末な対処
列挙したらきりがないけど

謝って簡単に終わらせようとする
奴のズルさが丸見えで胸くそ悪い

“俺が悪いわけではないけど
カッコよく謝っている俺”
“涙で声にならないぐらい心配している俺”

これで奴の中では
今までのすべてを終わらせたのだ

ここで私が
数ある中の一つでも指摘したとすれば
「済んだことを
いつまでもグチグチ言ってんじゃねーぞ」
奴は間違いなくそう言う

奴の中で私を一瞬で悪者にできる

泣いて謝ってる俺のことを責められないよね
泣いて謝っている俺を責めたらお前最低ね
泣いて謝ってるんだから理由なんて要らないね
何て言ったって
俺は泣いて謝っているんだから

この状況下
奴自身のための策略でしかない
姑息な手段だ

それだけだ

奴のたちの悪さと私のたちの悪さ

私が退院した次の日の午後
奴は退院してきた

奴は夕方お蕎麦を食べていたから
私は夕食をどうしようと思う
作る気がしない

「夕ご飯食べるんだったら
何か買ってきますけど?」
と聞くと

「おっ一緒にどっか食べに行くか」
疑う様子もなく立ち上がる展開は想定外で

「えっ???」一瞬頭の中がフリーズした
だけど

「私があなたと一緒に食事に行くと
思っているの?」
冷たく答えるられたのは上出来だ

「アホじゃねーの」と奴が言うから

やり取りが面倒な私は
「アホですけど何か買ってきますか?」
と聞き返す
この返しも私にしては上出来だ

「要らねーよ」と奴は言いながら寝転がった

この期に及んで私を食事に誘える奴が
不思議で不思議で?????

やっぱり泣いて謝ってみせた時点で
すべてが終わって夫婦仲は元通りになると
何の疑いもなくそう思っていたようで

それが不思議で呆れながらも
そんな奴を気の毒に思う
たちの悪い私を

「騙されちゃダメだよ」と
子どもが叱る

家族に入院先も聞かれず
容体を聞かれることもなく
心配もされず
退院も家族の迎えはない
泣いて謝って元通りに納まって
一緒に外食に行くだろうと
疑うこともなく誘ったのに
冷たくあしらわれてしまった奴を

何とも哀れに思ってしまう
たちの悪い私のことは
私自身が重々承知しているから

奴のlineを見た
私の感染を気にかけた電話は
元不倫相手のアドバイス

泣いて謝った日
私のことは全然頭にはないと会話している

午後の退院も元不倫相手のお迎えの都合

憶測通り
入院して5日目にご執心彼女へコロナ感染入院報告
それまでlineでは素知らぬ振りで会話しているのだ

「危ない危ない」
「また騙されるとこだった」
lineを見ながら相変わらずの自分を笑った

そして相変わらずの奴を軽蔑しながら
首をかしげたのは
奴の嗚咽を思い出していたから

それまでの非情さも冷淡さも
最期だけは優しくして
奴自身も周りも誤魔化すパターンの

最期は涙でなかったことにする
涙バージョン

姑息な涙を簡単に流せる

その時々の
その場限りの

ライブ感あってもリアリティのない嗚咽

自分に酔いしれているだけの
奴の「涙」に意味はない

それを軽蔑と同時に哀れに思う私も
そこそこ哀れでたちがわるい

偏見も人の自由だから私は人付き合いを整理する

長い付き合いのお隣さんが
既感染者に対して偏見を持っていた

それは人間性の問題で
捉え方考え方は自由だから
私ではどうしようもないこと

私が偏見にどう向き合うかの問題

ナンセンスな偏見に振り回されるほど
馬鹿らしいことはない

だからと言って…
堂々としていればいい…とか…
立ち向かうほど強くはない

だから偏見を受け入れた後は
もう考えない
時間がもったいない

面倒だから ″逃げ″ ようと思う
時間の経過に任せようと思う

勝手にしばらく孤立した

人は人だ
正しいも間違いもない
肯定も否定もしない
どうでもよい

私は私だ
お隣という理由だけで
波風立てず付き合ってきたしわ寄せが今で
人付き合いを変える時なんだろうと思う

嫌な人といると私まで嫌な人になる
優しい人といれば私も優しい人でいられる

どうせなら
優しいほうが心穏やかでいられるから

遅ればせながら
人付き合いの整理をするべき時なんだろう
と思う

そりが合わない考えを持った人とまで
付き合う必要はない

私は私で
気負わず普通でいればいい

限られた時間を
今の目標に向かって使いたい
大事な人たちに使いたい

くだらない偏見に振り回されず
くだらない偏見に立ち向かわず

さっさと ″逃げ″ られる自分がいて

清々した気持ちになっている自分に
気づいたりする

既コロナ感染者になったからこそできた
必要だった断捨離だ