自分が自分のために決めて行動して 欲求を満たして実感するのは当たり前のこと

日々のこと,脱モラハラ意思,自分中心

自分の人生を生きて何が悪いのか

モラルハラスメントを知って
被害者を知って加害者を知って
被害者と自覚したあたりから

定着していた
無力感と空っぽ感の
からくりが見えはじめ

私の脱モラハラが始まった

自分の欲求を満たすことへの罪悪感とか
自分の主張をすることへの遠慮とか

従うのが当然で
だけど
その責任はすべて私にあることとか

いちいち奴の許しを請うこととか

不服に思いながらも思わず
奴の顔色を見てしまう自分とか

恐怖とか
緊張とか

そういう自分をぜんぶ押し殺して

ごく自然に満ち足りたように
笑っていることを
当然のことのように要求されていた
以前の私は

無力感と空っぽ感で占められていた

自分が自分のために決めて行動して
自分の欲求を満たして何が悪いのか

私が私の人生を生きて何が悪いのか

ごく当然のことを当然なままに
誰にも遠慮する必要なんてない

今はもう
自分のために生きることへの
自分の欲求を満たすことへの
罪悪感は全くない

奴が異常なら私も異常、私が先ず始めたこと

とは言え・・・

奴が異常なら私も異常な
主従関係が数十年

そういう人だと受け入れれば
異常が日常で
異常が普通だったから

異常を異常と認識したぐらいでは

自分を大事にとか自分のためとか
自分軸とかよく分からない
「自分」が何なのか分からない

だから
まず始めたことは
「今日の夜ご飯は何を食べたい?」
と自分に問うことから…

食べたいものが思いつかない
だから毎日自分に聞いた

何十年と
夫のため子どものための食事作り
夫の好きなもの子どもの好きなもの
誰かのためが自分のためであって

自分のことは
すっかり忘れていたから
食べたいものが思いつかない

どうでもいいような気もしたけど

「自分のため」とか
他には何も思いつかないから
毎日意識的に自分に聞いた

今では
先ず自分に聞くのが普通になって

そんなあたり前の何でもないことが
嬉しいことの一つ

自分中心の意思を満たす

食べたいものがあってもなくても

ささやかな日常の
些細なことだけど

毎日自分の意思を確認し
欲求を満たしてあげる

誰のためでもない自分のため

食べたいか食べたくないか
やりたいかやりたくないか
欲しいか欲しくないか

二者択一を言っているわけではない
自分中心の意思を持つということ

自分に問いかけて
自分で決め
自分のために動いて
そしてささやかな欲求を満たす
それだけのこと

食べたかったら食べるで
食べたくなかったら食べないで
やりたかったらやるで
やりたくなかったらやらないで

誰か中心じゃなく
自分中心の意思で動く
すべて自分のためで良しということ

日常の些細なことを
自分の意思で決め行動し実感する

あたり前のことで簡単なこと
だけど
とても大事なことだったと分かる

それだけで少しづつ
かすれて薄れていた自分の線が
少しづつ浮かび上がってきて
今では太くはっきりとしている

「自分」がちゃんと居る

「心」があって「感情」が沸いて
そして「実感」している自分が

今ちゃんと居る

他人の印象は当たっていて面白い

古くからの友だちと電話で話をした
電話ではよく話すけど
随分と会っていない

声を聞くと直ぐに
「昔のあなたと話しているみたい!」
と言う

声が違うらしい
張りとテンポがあるらしい

「そう?」と私
「ぜんぜん違うよ」と友達が言うから

違うのだろうと思うけど
そこはよく分からない

想定外の山登りを始めたこととか
近況報告をすると

「昔のあなたみたいで本当に嬉しい!」
「人って変われるんだね!」
「良かった本当に良かった!」

と興奮気味に繰り返して言うから

「ほんとね」と返しながら
私としては若干引き気味

だけど改めて
「だよね」って納得もしたり
友だちの言葉が嬉しかったり

本当に良かったなと思う

「自分のため」の意味が分かって
本当に良かったなと思う

友だちだけじゃない
以前の私を知っている

ちょっとした知り合いまでも
「そんな人だったっけ?」とか
「なんか変わったね」とか

ちょっとした顔見知りの人までが
「若いころより元気になった?」とか

そんな言葉をかけてくる

私の声なのか見た目なのか
他人が感じる印象って

きっと当たっていて
面白いなと思う