劣悪な環境も解放された環境も実感ある現実
奴だけが逃げられない現実だった
山から戻ると
「現実に帰ってきたねー」って
ご近所さんが笑顔で声をかけてきたから
「うん、ただいま」って
笑いながら返事をしたけど
少しの違和感があった
それが面白いと思った
がんじがらめの
奴の操り人形でしかなかった
以前の私には

奴だけが
逃げたくても逃げられない
私の現実で
奴以外は非現実で
実家で癒されていても
友だちと楽しんでいても
いつかは覚める
ひとときの夢で
奴という現実からは
わずかな時間も逃げられないでいた
そして
何にもない空っぽの自分が
吐きそうになりながら
空っぽ感に気づかないように
ひきつった笑顔で
現実に帰る
ひとときの夢から
奴という現実に帰る
何十年と私には
奴だけが
逃げたくても逃げられない現実
だった
どうせ
逃げられない現実ならば
愚痴を言うより
自分の役目を果たそうと
健気に頑張って…
色鮮やかな現実への逃避
だから今
「現実に帰ってきたね」って言う
何気ないそれに
違和感を感じたことが面白くて
嬉しかった

山登りは
確かな私が
私のままに楽しんでいる現実で
確かな私が
心から満足している現実で
現実逃避じゃない
夢じゃない
そして
この家に帰って来るのも現実
澱んでくすんだままの
この破綻した夫婦関係も
私には好都合で劣悪な現実
家庭内別居でも
大嫌いな奴が視界に入れば
フンって思いながら
心の中で
汚い言葉で罵っているのも現実
それはやむを得ないと思うから
それを否定はしないけど
気持ち良くはない
心の中で奴を罵って
心が澱んで鬱々するのは
気持ちが良くない
それは割に合わないから
そんな不利な状況に陥らないように
私は逃げる
逃げられるようになって
逃げるということを知って
私は「わたし」でいられる

山に登ったり農作業をしたり
本を読んだり勉強をしたり
澱んだ現実から
色鮮やかな確かな現実に逃げれば
くすんだ気持ちが晴れて
心は軽くなり
滞っていたエネルギーが流れ始め
元気になり
元気になれば
自分も奴も
破綻した二人の関係も
ちゃんと見え
見えれば迷うことなく
劣悪な現実に流されることなく
濁った澱みにおぼれることなく
感謝さえも忘れることなく
気を引き締め
私は「わたし」のまま
また淡々と生活ができる
自分が在るという確かな実感
どんな環境にいようと
今の私には
確かな実感がある
″自分″が在るということは
そういうことなんだと改めて思う
日常を送り
すべての事柄を
見て体感しているのは私自身
それらすべてが現実だ

私が生きた数十年は
ごく普通の
幸せそうに見える家族は・・・
″幸せ″と″感謝″を強要され
緊張と委縮と無力感が日常で
ここが
私の生きている現実
これからもここが
私の生きていく現実
という
分かるのはそれだけで
″幸せ″の意味すら
″自分″の意味すら
分からない
私の実体もなければ
私の実感もなく
私はずっと抜け殻のままで
生きてきたんだと
改めて思う

私は奴で
奴の理想の人生を私が実現する
奴のために生きる
逃げるとかの思考自体がない
ここでは
それは当たり前のことで
そういう仕組み
だから今
私はわたし
奴は奴
事実は事実
嘘は嘘
現実は現実
理想は理想
それがちゃんと見えるから
もう
モラハラのメカニズムに
組み込まれることはない
奴のために頑張ることはない
エネルギーを使うのは自分のため
そんな
強い自覚がある

この先どうなろうと
覚悟も決まれば
確かな自分でこの白々しい環境の中
淡々と生きていける
澱んだ現実から色鮮やかな現実に
逃げながら
私は「わたし」を忘れることなく
これからもここで
淡々と生きていく