心を疲れさせるのはネガティブを否定し、ポジティブを肯定する思考の癖

心は無理していませんか?
難病外来で主治医が聞いてきた。
「無理していませんか?」
「無理はしていないです。」と普通に答えた。
次の先生のセリフは
″疲れたと思ってからでは遅いですからね″で
私は″はい″と返事をし、
そして次のセリフは
″ストレスを溜めないように″で
私は″はい″と返事をする、
一連の流れで診察が終わるはずだった。
が、先生が不意に台詞を変えてきた。
「心の″無理″のほうですよ。」と
軽く笑みを浮かべ私を見ていたから、
「心は″無理″していますね。」と
普通に笑って、思わず答えていた。
はあぁ、やっぱりそうかあ…
わたし″無理″しているんだあ…
″大丈夫です″と答えるべきだった…
頭の中がグルグル回転し始める。
とっさに口から出た
本音であろう本音に戸惑い、
明るく普通に取り繕おうとした。
「でも今までのほうがしんどかったから…」
″大丈夫です″と言う前に
声が震えだすから焦る。
「こうやって話せるから大丈夫です。」
″心の無理″を言葉で上手に表現はできない。
だから大人の体裁を繕いたい。
涙声が″心の無理″の上塗りをしただけで、
やり過ごせていないのが格好悪すぎる。
先生は肩を落として
小さくうなずきながら
「鬱にならないようにしないと…」
と力なく言う。
やっぱり一言、
″大丈夫です″と答えるべきだった。
「ストレス溜めないように調整しています。」
診察終了するには相応しい台詞を
ナチュラルに言えたと思う。
ふあぁーっ!格好悪い!
″心の無理″はもちろん
夫の不倫が原因じゃない。
潔く死ぬまで女のお尻を
追いかけて欲しいと思う。
そういう人だから
そうして欲しいと思う。
いい人を装われて
イジメられるより分かりやすいから。
モラハラは理解し難いけど
不倫は分かりやすいから。
だからそこはそうして欲しいと思う。
…なんて話すの面倒なだけで、
話したところで…だ。
頭で生まれる感情
もがかないと溺れてしまいそうになる。
リアルな現実に潰されそうになる。
何かを納得しようとしている。
心を淡々と平穏に保とうと
頭はあがいている。今そんな状態。
平静を装うために
手足をばたつかせている。
ネガティブな思考と心を否定し、
無理していることを否定し、
そんなふうにまた、無理をしていた。
わたしの思考の″癖″だ。
ネガティブ思考は悪く
ポジティブ思考は良い、
という思い込み。
似非ポジティブ思考全開で
ガス欠になっていた。
焦ることも
上手くいかないことも
不安定になるときも
大丈夫じゃないときも
誰にだって当然あることだし、
時間とともに変化しうるもの。
格好悪いことじゃない。
傷ついたりくよくよしたり落ち込んだり
ああでもないこうでもない、
格好悪いことじゃない。
頭で生まれる感情も否定しない。
どうせ負のループから抜け出せないなら、
どっぷり身を任せればいい。
それからでいい。
それから少しづつ、楽になる方へ、
理性で思考をコントロールすればいい。
心で生まれる感情
そして心の喜怒哀楽の感情、
ネガティブ感情は悪く
ポジティブ感情は良い、
という思い込み。
良いも悪いも絶対にない。
沸いたすべての感情が
私の心の本質で
受け容れるべきで
向き合うべきで
否定することじゃない。
深い怒りも深い哀しみも大事な感情なのに、
理性でコントロールできないのがそれなのに、
コントロールしようとする私の癖。
怒りと哀しみの感情に蓋をしたら
喜びも楽しみも感じなくなる。
怒りと哀しみの感情の下に
喜びと楽しみの感情はあるということ、
身を持って知っているのに。
喜怒哀楽の心の感情を
言葉にし意識化し受け止める。
あるがままにそのままに肯定する。
それから頭でどうするか判断すればいい。
喜怒哀楽をあるがままに受け止める
モラハラを認識し始めた一年前、
イライラと怒りを外にぶちまけたことがある。
本能のままに発散した感情。
私にとってはきっと初めてのことで
新鮮で一瞬すっきりした。だけど、
完全スルーする夫に感じた不気味さと違和感。
私の物差しでは測り知れず恐怖でもあった。
他人の気持ちを感じることが出来ない、
どこまでも無慈悲にいじめ、傷つけられる
共感力の欠如ということ。
他人の気持ちに共感できない夫は、
他人の怒りにも、もちろん共感できない。
という単純なことに、最近気がついた。
結婚して一度も怒ったことない
私が爆発したんだから何か感じるよね…
と言う私の思い込み。期待。
きっと何も感じていない…
届くことはない…ほんと一人相撲。
暖簾に腕押し、糠に釘。
だから喜怒哀楽をあるがままに否定せず
先ずは受け止め、後どうするか、
理性で処理するも良し。
表出するも良し。そして、
反省とか意味をなさないということ。
どっちにしても
一人相撲の様相を呈しているんだから。
そっと自分に戻り、そっと休む
結局のところ、
この環境では、
心からの平穏な日々は訪れない。
何を今さら血迷っているんだろう、
と思う。
じたばたするより、
ただ嫌いなモノは嫌いと、
嫌なことは嫌と、
堂々と胸を張っていればいい。
我がままに自分の都合でいい。
ここでは
すべてが一人相撲だから。
そして疲れたら
心と身体が休まるように、
そっと、
優しいわたしに戻ればいい。
ほっとする自分に戻ればいい。
綺麗ごとだろうと
偽善だろうと
そうありたいと思う自分に戻ればいい。
まあるい心の自分も
みっともない自分も
情けない自分も
抱きしめて
憎しみとか哀しみとか後悔とか
意地とか夢とか希望とか
執着をぜんぶ手放せば
ポジティブもネガティブもない。
ただ
シンプルになみだ流して
こころ穏やかになればいい。
そっと休めばいい。
そして次の日、
目覚めたそのときから、
無心に淡々と
自分のために闘えばいい。