家庭内サバイバル
私はここで……
心からの平和は望んでいない。
心からの自由も望んでいない。
幸せそうに笑う見てくれが
満身創痍の心を否定し傷つけた
あの日々よりも
心が平和であればいい。
心が自由であればいい。
自分が自分でいたい。
それだけのために毎日静かに闘っている。
自身へのせめてもの罪滅ぼし。
孫子の兵法 ″戦わずして勝つ″
連日連夜の夜遊びで身体がしんどいとする。
それに加えて
お気に入りの女性との予定がなくなったとする。
だから家で休むことにしたとする。
となると、理由もなくイラつく。
となると、そのはけ口は私だ。
たまったもんじゃない。
まさしく今日はそんな日。
目つき顔つき口調のキツさに思わず緊張する。
見ない振りをしながら見ているそれに
条件反射のように瞬時に反応する心と身体。
取るに足らない相手、だと思う。
理屈では理解している。でもただの理屈。
そんな理屈が通用しない相手だから
こんな日は思わず緊張する。
だから背筋を伸ばす。しっかりと胸を張る。
ぐうの音も出ないほど簡単に
口でねじ伏せられるはずもなく、
八つ当たりに応戦するには
幼児並みのエネルギーと
幼児並みのわがままな気力が必要で、
とりあえずそれが、
とても面倒にしか思えない私は
言葉の端をつかまれないように
上げ足を取られないように
八つ当たりされないように
怒鳴られないように
無表情に「はい」とだけ言う。
それ以外の反応は相手の思うつぼ。
不毛な争いは消耗し疲弊するから
孫子の″戦わずにして勝つ″で。
そして個人的な関係は成立しない、
公衆距離だろうと視認できるだけで
不快に緊張するから、
だから背筋を伸ばしたまま逃げる。
ことわざ″逃げるが勝ち″で。
あなたは勝手に、一日中イライラすればいい。
恐怖はくすぶったままで簡単には消えない
今日の夫はストレスを発散していない。
こんな日は、眠りに落ちる直前まで
ふっと恐怖が頭をもたげる。
簡単には消えないでくすぶり続け、
夫次第で頭をもたげる恐怖。
夜中に起こされ説教されたあの日とか、
無言で起きてきてテレビをひっくり返し、
ビデオデッキを床に叩きつけたあの夜とか、
「てめー、この野郎」の怒鳴り声と鬼の形相で
ドアを蹴破って入って来たあの朝とか、
長期記憶の引き出しが開くと
意に反しいつまでも保持されている
最低な記憶がよみがえる。
確かな″自分″で考えられる今は、
その過去の記憶で傷つくことはないけど
植え付けられた恐怖が頭をもたげるから
毅然とし脈々と淡々と流れていた
深い荒川の流れを思う。
スッーと落ち着く。
だからこんな日と、こんな日の次の日の
朝と夫が帰宅する時間の緊張をどうにかしたい。
サバイバルにおいて最も重要なこと
今の私はおとなしくストレスのはけ口にはならない。
だからその分余計に
頭をもたげた恐怖が増すときがある。
きっと何もないであろう、と思う。
植え付けられた恐怖が頭をもたげた、だけと。
そこに当事者と家族にしか分からない恐怖がある。
恐怖は恐怖。
自分の部屋で寝ているふうを装い
物置となっている娘の部屋で、
ボイスレコーダーをONにしたまま
耳をそばだて、息を軽く殺し寝たのは最近の話。
あろうことか
安心して寝れない家が我が家という…現実。
今さら凹んではいられない。
離婚はしない、という
時代にそぐわない選択をした私の
家庭内サバイバル。
呼吸を整え心拍数を下げ、
ゆっくり吸って吐いて心を落ち着かせ、
自分の置かれた状況を見つめ、対処を考える。
現状の中で何があって何がないのか
何ができるか、これからの戦略も考える。
こういう日に備え、最優先するべきことは
家の中で安全な場所を確保することと気づく。
幼い頃に遊んだかくれんぼのように
押入れの中か、クローゼットの中か。
財布とモバイルバッテリーの
入ったバッグを頭の上に置き、
外に飛び出せるスウェットで横になりながら考えている。
ここには生存に必要な物資は十分ある。
受け入れがたい現実に
パニックと恐怖で精神を消耗させると、
物資が十分あろうと絶望しかない。
今までがそう、絶望したら命を落とす。
だからここで生き抜くためには
現実を受け入れ、恐怖に支配されず、
静かに動じず毅然と闘っていく。
そして生き抜く意思をなえさせないために、
必要なことは、息抜き、ガス抜き、幸せ探し。
心が元気だと希望も見えたりするから。
無防備なまま
満身創痍を笑顔で包み隠し
生きた数十年を糧に
心にバリアを張り巡らし
自分のために闘う今、
最も重要なことは
生き抜きたいと思う確かな意思。
確かな″自分″。