抱腹絶倒できる気楽で貴重なゆるい距離
同級生は〝特別″ なただの友だち
唯一無二の存在
遠い昔は
仲が良かったわけでもなく、
悪かったわけでもない。
授業ペースが他のクラスより早く、
クラス替えのないクラスで
3年間一緒だった。
みんなは
ただのクラスメイトという
存在だった。
そして
今では「ただの友だち」。
それぞれの生活に関わるわけじゃない。
お互い支えになっているわけでもない。
大事な相談をするわけでもない。
悩みを聞いてもらうわけでもない。
話のネタの思い出だけが共通点で
年に数回、
ほんのひと時を共有するだけ。
上司でも部下でもない。
先生でも生徒でもない。
誰の妻でも夫でもない。
親でもない。
大人でもない。
何者でもない。
人生で身にまとった頑丈な柵を
全部取っ払い、
せき止めていた
威厳やらプライドやら常識やらが
勢いよく流れさると
素になる。
自分のことだけでよかった、
わがままが許されていた、
ストレスフリーで笑えていた、
あの頃に返る。
ほんのひと時だけど
〝特別で贅沢″ な、ひと時に
私は癒され満たされる。
カテゴライズされた
「ただの友だち」
付かず離れずの距離感も
ちょうどいい。
ちょうどいい
唯一無二の存在。
きっと一生ものの、
ただの友だち。
〝特別″ な、
ただの友だち。
彼らと彼女らと私
年に数回集まる高校のときの同級生。
女子だけのときは散策、
男子が加わると飲み会。
社会的地位やら経済力やらが
ハイスペックな彼らは、
当然、いろいろな顔を
つかいわけているであろう。
そんな彼らを思わず、
極論で言うと″男″というだけで
斜めに見てしまうときもあるが、
そこは何の利害もない
ただの同級生。
それぞれの生活の
深い事情もさほど知らず、
どうということはない会話をする。
ネクタイを外し、
バッジを外し肩書きを外し、
ただの酔っぱらいのおっさん、
と化した彼らは
小学生レベルの
下ネタで盛り上がれる。
それをドン引きしながらも
素直で真面目で癖がない、
穏やかな彼女たち。
一緒にいるだけでいい。
ひねくれた私の気を休め、
張りつめた私の気を緩めてくれる。
じじぃとばばぁが高校生のように笑う
アラカンの
おっさんとおばちゃんが
下の名前で呼び捨てあうって
なんて素敵な関係だろう。
コロナ騒ぎ前の
新年会はランチから始まった。
平日は
ハイスペなおっさんたちと
平日は
ごく普通のおばちゃんたちが、
土曜の真昼間から
腹を抱え、身をよじり、
ヒーヒー言いながら、
止まらない笑いに悶絶している。
周りの迷惑にならないよう
大笑いはできないけど、
止まらない笑いに、
体を上下左右にのた打ち、涙を流す。
なんて素敵な光景だろう。
じじぃとばばぁが
高校生のように…って?
私を含め皆さんが
スマホを見つめる今どきは、
高校生の間でも
あまり見かけない光景かもしれない?
あまりのくだらなさが嬉しい。
くだらなさを
腹の底から笑えるのが嬉しい。
上品な
周りの白い目も気にせず、
今年の私は
抱腹絶倒している。
確かな〝自分″ が
斜じゃなく
素直にまっすぐに
腹の底がよじれるほど
笑っていたのが嬉しい。
あたり前に確かな日々を過ごし眠る
紆余曲折を経たのか
直往邁進で来たのか
波乱万丈だったのか
順風満帆だったのか
幸せだろうと不幸せだろうと
みんな〝自分の人生″ を
歩んできたんだろうなって思う。
そんなふうに、
もうそれを、ただぼんやりと
眺めてはいない。
何十年とブランクはあるけど😱
前に進もうが進むまいが
それこそ
幸せだろうが不幸せだろうが
あたり前に笑い
あたり前に胸を痛め
涙が流れる。
そんなふうに今、
確かな日々を過ごしている。
きれいなものはきれいと思い
辛いことは辛いと思い、
まちがいなく、
そこに「自分」が居るから
疑うことなく一日を終え、確かに眠る。
それが幸せと言えば幸せだから
私はそれで十分なのかもしれない。