最後のエネルギーで必死に癒してくれる。だから私は切り花を買わない。
夏の空気と秋の空気が押し合う秋雨前線が停滞中。
ぱっとしない天気も嫌いじゃないけど、
気持ちがどんより曇る日もある。
こういう時は花を買う。
切り花じゃなく根っこのある花を買う。
若いころは決してチョイスしない、
ススキと萩の寄せ植えにした。
秋らしく狭い玄関先で揺れている。
これから穂が出て、そして枯れて、
土の中でじっと待ち、時が来たら芽をだして、
きっと何年も私を癒してくれる。
必死に生きようとしている花のエネルギー

私は切り花を買わない。
SLEで入院したときのこと。
衰弱した身体はベッドから起き上がれないでいた。
お見舞いの花がベッドの周りをぐるっと囲んで置かれた。
花好きの私はそれが嬉しかった。
その夜のこと、寝るために灯りを消す。
目を閉じると息が苦しい。息がしにくい。
目を開け薄暗い中で見えたものがあった。
言葉にするのは簡単なようで難しいけど…
空気の流れというのか気の流れというのか、
感じたままに言うとしたら〝生気″。
私から周りの花たちのほうへ流れている。
切り花たちが必死に生きようとしているのが分かった。
私のエネルギーが吸い取られているのが分かった。
息が苦しい理由が分かった。
不思議なそれを見ながら枕もとのブザーを押し、
花を別の場所へ移動してもらうと楽になった、
不思議な体験、他人に話したことはない。
花のエネルギーなんて、きっとどうでもいいことだから。
私は切り花を買わない

切り花を飾ったその場所は
ふわっと明るくなり空気が和らぐ。
ふわっと優しい気持ちになり心が和らぐ。
それが好きで、よく花を飾っていた。
鉢植えの花の面倒を見るより
数日だけきれいに咲いて、
あとは枯れていく切り花のほうが気楽。
切り花の生死なんて考えたこともなかったし。
身体が元気なときは
切られた花のエネルギーを貰っていたんだろうなと思う。
そして・・・その逆もまたしかり、と知った。
花は必死に生きようとしていた・・・
あれ以来、人の手で切られた花を
自分のためには買わない。
もらったら毎日水を換え世話をする。
残された時間をまっとうできるように、
花の最期のお世話。延命剤は使わない。
頑張ってるね、ありがとう、きれいね。
って声をかける。
頑張ったね、ありがとう、お疲れさま。
って捨てる。
もういいよね、もう頑張りたくないよね。
って捨てる。
普通の顔して捨てる。
寿命が尽きた花と一緒にやりきれない思いも
普通の顔して捨てる。