人生失敗した!人生やり直したい!と言える解放感。

日々のこと,脱モラハラニヒリズム

夫に惹かれた私は愚の骨頂


もともと結婚に価値を見い出せず、
社会でキャリアを積むはずだった…
……って、はるか遠くかけ離れたとこに居るけど

守られたいとか養ってもらいたいとか、

もともと結婚に保護は求めてはいなかったのに…



この囲われた長い年月に
何らかの価値があったのだろうか。

そして私は夫のどこに惹かれたのだろう。

・・・・・・・・・・・・

きっとターゲットになった場面から始まり、
強引な押しに負けたのが運の尽きで、

強引さの本質を見極める能力はなく、
モラハラ的要素に魅力さえ感じるようになっていった。

強引さは私に欠けているモノだったし、
自己中さと横暴さを頼もしく感じていた。

いとも簡単に騙され、恐ろしい勘違いをし、
感じた???を違和感と認識せず、
少しづつ深みにハマり結婚。

愚の骨頂…。自業自得…。




人対人の間に存在すると思っていた、
尊重とか愛情とか思いやりとか…

誰しもが持っていると思っていた、
共感力とか慈悲の心とか優しさとか…

夫から感じ取れないという違和感。
不可解な事象の数々。

女々しくて嘘つきで卑劣で…
・・・・・・ただの悪口になってきた。

愚の先は、どこまでも愚しかない

悪口ばかりでは何だから・・・・・
大切に扱われたこと…思い出している。

あっ、外ではそれっぽく…
車のドアを開けてくれたり、
重い荷物を持ってくれたり。

夫の自己満足でしかない、
そんなどうぉぉぉでもいいことはあった。

薄っぺらい言葉もその一つ。

「俺に何でも言えよ」と言う、
あの呪いのような言葉、何度も真に受けて、

奈落の底に蹴落とされ、ズタボロにされ。

答えるのは不正解で、
感謝とお礼の言葉が正解答。

そんなあべこべ分かるわけがない。



熟年になってからも見え透いた言葉は健在。
男尊女卑を地で行くモラハラ夫が、
家事に参加している体を装う。

雨戸を閉め終わるころに「俺閉めようか?」
干した布団を取り込み終わるころに「俺やろうか?」

雨戸に関しては日課だからイラつく。

「聞く前に閉めろよ!」の代わりに
「大丈夫!ありがとう」と、毎度の返答が面倒くさい。

高所作業だろうが、汚れ作業だろうが、
力仕事だろうが、一事が万事。

夫は口先だけを動かすか、我かんせず。

・・・・・やっぱり悪口になるというね(笑)



そんな夫を当てにすることはなく、
より所になるはずもなく、

心はずーっと独りで生きていたから
家庭内別居を不便に思うこともないという都合の良さ。

距離感のちぐはぐさが解消され、
今のほうが自然で清々するという具合の良さ。

寒々しい距離感で幸せ、というやるせなさ。



あぁ失敗した!と思う。
あぁ人生やり直したーい!と思える解放感。


楽観的ニヒリズム、人生の意味は勝手に自分で意味づければいい

悲観的ニヒリズム

少し前までは、

無駄に生きたんじゃない、
幸せになるために頑張ったんだって。

何十年分の自分の頑張りにしがみついて

失敗した、って認めたくなくて。
何もない、って認めたくなくて。

やり直すとか、そんな余分なエネルギーはなく、

人生終わるのを心待ちにしていたんだよね。

いい妻で、いい母で、いい人で、
笑顔の私だけが印象に残るように、
最後まで笑顔を絶やさないで人生を終える。

それを心待ちにしていたんだよね。

絶望し疲弊し容認し、
流されるがままを肯定し、生きた挙句には
空っぽ感が悔しくて苦しくて、諸行無常を唱えながら、

自分を守ろうと戦っている相手は何もない自分で。
慣れ親しんだ負のループから抜け出す術はなく、

ただただ息を吸って吐いて吸って吐いて、
機能停止を心待ちにしていたんだよね。


楽観的ニヒリズム

でも今は違う。
少しでも長く生きようって思う。

きっと、今までの結婚に意味はない。

きっと、これからの人生にも意味はないけど、

息を吸って吐いて生きたい!と思う。

正解も不正解もなく、勝ち負けも
損得もなく、肯定も否定もない。

やらなければいけないことも
やっちゃいけないこともない。

不正解も正解で、負けも勝ちで、
損も得で、否定も肯定で、何でもOK!!

存在しない、認識されない、価値なしでOK!!

ただ生きればいい。単なる物質的存在それでいい‼



でも私は少しだけ頑張れることが欲しいと思う。

人生に意味がなければ勝手に意味づけすればいい。

ささやかな「幸せ~」を探して積み重ねればいい。

せっかくだから諸行無常を楽しもうと思う。