脱モラハラ被害者〝報われる努力″ と〝報われない努力″

脱モラハラ報われない努力,報われる努力

〝努力は報われる″ って言葉が、
〝嘘″ だということ、ほとんどの人が知っている。



それを信じて必死で努力する人もいる。

そして報われたときに、
〝努力は必ず報われる″ と、確信に変わる。

そしてまた、
次の目標に向かって、必死で努力する。

自分のために、
報われる場所でちゃんと努力する



報われることがない努力

モラハラ被害者の努力は、
報われることは無い。

どれだけ努力をしても簡単に否定され、
それ以上を要求してくる。

〝努力が足りなかった″
そう反省し、また必死に努力する。

そしてまた、それ以上を要求される。

それがエンドレスで続くのが
モラハラの世界。

〝努力は報われる″ という残酷な言葉は、

きっと権力者が、
下々の人をこき使うためにできた言葉。




いつかは報われる、
ずっと先の幸せのために〝今″ がある。
今の苦労が過去になる時が来る。
何十年さきに年老いた夫が、
分かってくれればそれでいい。


だって、

〝努力は必ず報われる″ はずだから。


頑張れば頑張るほど、
身体も心も蝕まれていった。

頑張っても頑張っても、まだ足りない。

何で?どうして?どういうこと?



気づくと、ただ生きて、
ただ頑張っている。

呆然としながら惰性で頑張っている。

もう目的も見失ったけど、
頑張ることしか許されない。

落ちて行きながら、
空っぽの自分がまだ頑張っていた。




それが、私の生きたモラハラの世界。


報われる場所で努力する、ということ

私は
何を頑張ったんだろう…

力つきて、
落ちた底辺で、
もがき苦しんで見えたものは、

モラハラの世界で
操られている〝愚かな私″と、
無意識化していた〝自分″。

だからもう大丈夫、
私には見えているから。

後は、這い上がるだけだから。

〝自分″ のために這い上がるだけだから。

取り返しがつかない年月よりも、
〝今″ を生きたいと思うから。

〝愚かな私″ を
笑って愛おしいと思えるから。




〝努力は報われる″ はずならば、
〝報われる場所で努力しよう″
って言えるから、

だから、もう大丈夫。

これからのために〝今″ を生きる

モラハラを知らずに生きた、
今までとは違う。

前向きな言葉に自分を責め、
追い込まれることはない。

今まで無駄でしかなかった、
考えるということができる。

〝生きる″ことを意識できる。




モラハラ被害者になった、
愚かな自分を見る作業。

そして、
いくら振り返っても
何も無いことを知る。

何も無い人生は、
やっぱり何も無いことを知る。

そして、
それらを認める作業。




だから、

〝これから″ を考えることが出来る、
のだと思う。


年齢、難病、現実を見ると
ため息が出るけど、

それでも考えている。

もう、
モラハラと知らずに過ごした、
夫の人生を生かされた、
あの日々の、
あの空っぽの自分にだけは、
なりたくないから。

何のために生きているんだろう?
なんて、
答えの無い問いかけを
したくないから、




意味があって
生きているわけじゃないって、

動物も人間も
生まれたから生きているって、

そう思うから、

私は自然の一部、

それを知っているから




まっさらさに
生まれたばかりの自分で

生きるための適当な言い訳を

ずっと考えている

やりたいことがあるわけじゃないけど
一歩踏み出さなきゃて

ずっと考えている〝今″

考えられる今が、嬉しいと思う