モラハラ被害者 目指す家族像は「普通の家族」だったこと

刻まれた記憶,脱モラハラ理想の家族像

「普通の家族」を理想とした理由

若いころ、あんなに毛嫌いしていた
「普通」ということ。

いつの間にか、いつの頃からか、
「普通」を目指していた。


私の理想とした家族像は、
「ごく普通の家族」。

「普通の家族」になるために頑張った。

囚われ、囲われ、自活の道を奪われ、
否定され続け・・・
打たれ続け・・・

モラハラの世界で、私に求められたことは、

ゴールのない自己否定と、
喜んで、夫の犠牲になること。

そのために「自己」を無意識化し、

「いい妻」を演じさせられた私には、
「いい家族」を作る以外に道は無い。

夫の理想としている、
「見てくれの良い、幸せそうな家族」・・・
「世間から見た、幸せそうな家族」・・・

もちろんそれは、
夫にとっての家族の在り方で、
夫にとっての幸せなのだろう。

自分が幸せなんだから、家族も幸せなのだ。
幸せでなければいけないのだ。
それ以外にない。

家族の個々の幸せは、
夫にとっての幸せではない。


だから私は、
幸せそうな体裁を装う、異常な毎日。

そのうち、その異常な日々も
日常になり、それが普通になる。

幸せを感じない自分が居たら、
その自分を私自身で責め、否定する。
ただ否定している。

幸せを感じない理由を認識したところで
どうすることも出来ないから考えない。

幸せの判断も他人に任せるようになる。

私は、「幸せ」以外に感じてはいけない。
「夫のおかげで幸せ」でなければいけない。
私は「幸せ」なのだ。


だからきっと、
無意識化している私が欲しかったのは、
「表面的な幸せ」より「中身」・・・

だからきっと、
手に入りそうで、入らない

「普通」を目指した。
「ごく普通の家族」を理想とした。

生まれてから死ぬまで「自分」

もちろん子供には、自由に、たくましく、
人生を歩んで欲しかったから、

胸を痛めたりすることがないように、
余計な心配をすることがないように、
自分のことだけを考えて進めるように、
親を踏み台にして飛べるように、

表面的でも「幸せそうな家族」で良し、とした。

子どもの幸せは、私の幸せ。

それしか無かった。
それしか無いことを空しく感じようと、
それしか無かった。

でも、もうそれもお終いにできる。
おしまいにする。

私は、私の責任で幸せになる。

生まれてから死ぬまで、
私は私、だから。


そこには「自分」しか居ないから。


もう、「普通」を目指すこともない。
もう、「ごく普通の家族」が、理想の家族像じゃない。

「普通」でも「異常」でも、
私が「幸せ」と感じれば、それでいい。
私が「平和」なら、それでいい。


子どもたちの幸せは、私の幸せ。
そこは変わらないから、それはそれでいい。



異常なモラハラの世界、

モラハラという卑劣な行為、



気づくのが遅すぎた、と思う。
でも、気づかないより良かった、と思う。

ルル
ルル
ほんと気づいて良かったと思う。
キキ
キキ
これからこれから!生まれて死ぬまで自分、自分しかいない!!