モラハラ被害者 死ぬまで、生きるための言い訳を考える
自分の存在価値の言い訳を見つけたい
モラハラの環境の中で、
子育てを自分の存在価値として生きた。
たったそれだけの私の人生。
囲われ、自活の道を奪われ、今がある。
子育てが終わると同時に、
私の生きる言い訳も無くなった。
自分を慰めていた言い訳が出来なくなった。
夫の人生を生かされ、
子どもの人生を生きた、
私の愛おしい人生。
夫の洗脳から抜け出しているであろう、いま。
モラハラ被害者人生も終わったであろう、いま。
心は自由であろう、いま。
自分を慰める、
生きるための言い訳を考えている。
だって、な~んも無いから・・・
「道程」のフレーズが頭に浮かぶ。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る ってやつ。
後ろを振り返っても、な~んも道が無い。
でも、子ども達が、
それぞれの道の ずっと遠くのほうで、
笑顔で 手を振ってくれているのが見えるから、
だから、それはまあ、良かった、ということで、
今さらだけど、今だから、どうしようって思う。
これから、死ぬまで生きるってことの言い訳、
どうせだったら
生きがいが欲しいって思ってしまうから、
自分を慰める言い訳を、
どうしようって考えている。
歳だからとか、健康じゃないからとか、
お金は大事とか、、、
それでも人生を楽しみたいって、
思ってしまうから、
どうしようって考えている。
適当な、自分の存在価値の言い訳…
がんじがらめの日常でも心は自由
ただ嬉しいことは、そんなふうに、
今までのように、
諦めた人生じゃないから、
自分のための言い訳を、
自由に考えられるってこと。
私の前にある道は、
一つだけじゃないってこと。
だから、
今までと同じように、
子供たちの人生を見守るってのも有りだし、
随分と遅くなっちゃったけど、
自分探しも有りだし、
そして、がんじがらめの日常の中で、
もがいてみるのも有りだし、
とりあえず、心は自由ってことが、
今までとは180度違うから、
どうにか生きるための言い訳を見つけたい、と思う。
見つけられたらいいな、って思う。
現実は現実で、ため息が出る
こうやって書きながら、
ため息が出てるよ、ほんとは…
だって、この環境でしっかりと、
根を張っちゃって生きているし、
私の生きる場所じゃない、
ような気はするけど、
この環境に適応しちゃっている、
のは現実だし。
お日様が欲しい花木でも、
日陰の環境で数年が経つと、
慣れるというか、適応していく。
それなりの花を咲かせる。
日向に咲く花のような
花じゃないけど、
それなりに咲くんだよね。
花を咲かせられなくても、
しっかり根を張っている。
根っこがぎゅうぎゅうだから、
大きな鉢に植え替えようって、
環境を変えようとするときに、
土作りは、もちろんだけど、
その時期って、
植え替える時期って、あるんだ。
枯らさないために、
それはとても重要なことで。
良かれと思って植え替えても、
その時期が違ったら枯れてしまう。
その時期を逃したら、
環境を変えない方が無難。
そこなんだよね、
環境を変えるのに…
時期がね…
遅い…
無難なほうを選んじゃう。
もう時期を逃しているって思うと、
この適応した環境で
生きるのが無難。
だから、ため息が出ちゃう、ほんとは。
一か八かの選択は、格好いいけど、
現実は現実で、現実だからね。
[balloon_left img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/01-60px.png" caption="キキ"]ただの愚痴じゃん!(笑) 醒めて現実みようね。 [/balloon_left]
[balloon_right img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/38-60px.png" caption="ルル"](笑)分かってる。でも未来は分からないじゃん![/balloon_right]