モラハラ被害者 経済的依存、でも私は「共依存者」じゃない

脱モラハラ共依存

抜け出せるのに抜け出せない自分がいた

夫の不倫を知って嬉しかった。
これで終わりにできる、
ここから抜け出せる。そう思った。

そう思っただけだった。

証拠も撮ったのに何もできない。

できるはずなのに何もできない。

罪悪感やら恨みやら情けなさやら絶望やら、

体重と体力と気力だけが落ちる。

混乱した。ボロボロに混乱した。

依存して生きてきたことを認めるしかない。

でもこの時は、
「共依存」という言葉を知らないでいる。
経済的に依存して生きたからだと思った。

経済的に夫に依存している、ということ

私は家事全般が大嫌い。
家の手伝いでそれが分かっていたから、
私の人生で結婚はないと思った。

憧れたことも無い。

だから生きがいになる仕事を見つけたい。
そして自分の道を決め、歩き出した。

で、夫に出会う。

私の夢を応援していてくれている、そう思った。その時にはもう、私は選ばれていた、と思う。

私は極端な平和主義者、モラハラ被害者体質だ。

仕事をすることを阻止され、
必然的に夫の会社の事務、経理を手伝う。

私に強い意志が足りなかった、と思う。

囲われた、というイメージ。

経理上、給料は発生しているが、自分が働いて得たお金という認識は持っていない。夫が稼いだお金という認識。最近まで。

誤った認識だと助言されても、自覚できない。
言葉では理解できても、罪悪感が邪魔をする。

当然、経済的に夫に依存している自分という認識。

一番なりたくなかった自分、になっていた。

「共依存」の関係というのだろうか?

私は夫に依存している?

ウィキペディアの定義では「ある人間関係に囚われ、経済的、精神的、身体的に逃げられない状態にあるもの。」とある。
う~ん・・・。
何度も読んだ。う~ん・・・。
分からない。う~ん。難しい。

「共依存」の関係なんだろうか?

私は確かに経済的に依存している、と認識。
それだけだった。

あっ、“恐怖心”だ。恐怖心があった。
それって精神的、肉体的にっていうのだろうか?

いや、違う。依存ではない。
精神的に、肉体的に依存はしていない。

入籍後は、
夫を頼りにしたことも、
安心感を覚えたことも、
支えに思ったことも無い。一度たりとも無い

献身的、自己犠牲的に見えるが、

強いられただけだ。

恐怖心で支配されていただけだ。

無力感で従っていただけだ。
何をやっても無駄という学習性無力感。

そして今は、
自分を救えるのは自分しかいない。と気づいている。

モラ夫は私に依存している

夫のことを考えた。

私をゴミ箱のようにストレスのはけ口にした。
サンドバッグのように痛めつけた。
モノのように扱った。
奴隷のように従わせた。

夫は自分を守るため、
努力もせず、正当化し、責任を押し付け、
高圧的で冷淡な言動で
私にすべてを受け入れさせた。

アルコール依存症のように
ギャンブル依存症のように
私ですべてを解消する。
きっと私は依存の対象。

家族への責任を負うことが出来ない夫が、
一家の大黒柱でいられたのは、
私が土台になっていたから。
モラルを持ち、
社会性も分かっている私が支えてきたから、大黒柱のポジションで君臨できた。

“私”で自分の欠けた部分を満たし、 満たしていくはずだった。 私は夫のモノだから、夫の人生に、とりあえず私は必要なのだろう。

モラ夫は標的の見定めを間違った

モラハラの「共依存」の関係。
被害者が離れていかないように「共依存」に陥れる。自ら抜け出すことが難しい。というフレーズは、納得するようで納得が出来ないでいた。だからずっと考えていたこと。

自分に焦点を当てるようになって、
自分を好き、と思えるようになって、

選択肢が無い、から
自ら環境を変えないことを選択した、と思うこと、

これって無理しているのだろうか?
無理やりそう思い込んでいるのだろうか?

「共依存」に陥っているのだろうか?
はまって抜け出せない、ということなのだろうか?

事務、経理をした報酬を得るのは当然だ。私は奴隷ではない。先の覚悟も決めた。今の生活にしがみついていない。

もともと精神的、肉体的な依存は無い。

そして私は今、夫を利用する。
この環境を利用すると決めた。


それは「共依存者」に陥らせることに失敗したということ。

私は「共依存者」じゃない。

柳の細い枝の強さ

夫は柳の木の強さを知らない。

あっちにふらふら、こっちにふらふら揺れる、


細い枝の強さを知らない。

知る由もない。

気の強さじゃない、

私の芯の強さの源は、母の愛情だから。

両親の生き方だから。

あなたにそれが解かるはずがない。