モラハラ被害者 被害者と認識しても認めたくなかった「虚無感」

脱モラハラ虚無感

何十年と感じていた虚無感

私は喫煙者だ。だから家の外でタバコを吸う。

吸いながらいつも空を眺める。

眩しいときも、嵐のときも、
青空のときも、雨のときも、
くもり空のときも、
雲が流れていくときも、

星が見えるときも、
真っ暗闇のときも。そして、

生まれ育った、あの場所の空を思う。

空は繋がっているのは知っていても寂しい、と思う。

空を見上げて宇宙を眺めているときもある(笑)

諸行無常とつぶやきながら宇宙を眺める。

自分の中にぽっかりと空いている、
真っ黒な大きな穴を感じはじめるころには、
タバコを吸い終わる。

だから前を向く。

前を向いて花を眺める。

鉢植えの花を眺めながら、

山奥の、谷底の、崖っぷちの、

人知れず咲く花を思う。

ただ咲いて散っていく。それでいいと思う。

そんなふうに……ごまかした。
ぽっかり空いた穴を感じたこともごまかした。

ごまかし方はいろいろあった。

祇園精舎の冒頭のフレーズでも、
井の中の蛙大海を知らず、
されど空の青さを知る。でも、
過酷な環境で生きる人たちを思うことでも、
「世界がもし100人の村だったら」の数字でも、
人の一生を地球誕生の歴史と比較することでも、

何でもよかった。今さら、
ぽっかり空いた、
真っ黒な大きな穴を見ることはしない。

こんな人生も有りだ。
自分で選んで生きてきたんだ。
必死に生きてきた、それでいい。
生きていればそれでいい。

35年の自分の人生を否定できるはずがない。

虚無感も過去のことになる

モラハラ加害者と被害者の共通の自分が無い「虚無感」、というフレーズが目に入った。直ぐに避け、読むことはしない。読めない。共通ということにも引っかかる。

まずは過去の言動の事実を書いて整理。
幻想も希望的観測もなしで夫を見る作業。

ありのまま、だけを見る作業。

書きながら何度も泣いた。泣いていい。
泣くべきことをされてたから、泣くのが普通の感情だ。

そして夫を憎んだ。憎んでいい。
憎むべきことをされていたから、憎むのが当然の感情だ。


それだけで、
そんな自分が好きと自然に思えていた。

普通の感情を普通に感じていた。

頑張らない普通の自分で居られる。

そして、それでいいと思う。

自分が無かった、ということも、
感じていた虚無感も、

モラハラ被害者として生きた証
で、

もう過去の自分に思えて、今、書いている。

そして私の人生を踏み潰した夫を憎む。

何十年も苦しんだ日々が嘘のようだ。

環境は変わらないのに、

何かが180度変わった。

選択肢が無い。
   ↓
自分のために、今はこの環境を選択している。

そんなふうに考えている。
そして、それでいい。と思う。

自己啓発も先人の言葉も救えない

楽に生きたいために読んだ本とか、
自己啓発の記事とか、先人の言葉とか、

じゃない。

心に響く言葉とか立派な生き方とかじゃない。

自分を許そうとかじゃない。
自分を好きになろうとかじゃない。

被害者はそれが出来ないように
コントロールされているから。

他人を許そうとか、
情けは人のためならずとかじゃない。

感謝しようとか、
目の前のことに全力を尽くすとかじゃない。

ポジティブ思考で生きようとか、
マイナスの言葉を口にしないとかじゃない。

乗り越えられる試練しかやってこないとか、

そうじゃない!!

モラハラ夫はそれを、
ほくそ笑んで利用するだけだから。

立派じゃなくていい。憎んでいい。
自分に甘くていい。手を抜いていい。他人に厳しくていい。
感謝しないくていい。現実を見ていい。

現実を見る。現実の卑劣な夫を見る。
そして憎む。


私はそこから始めた。

被害者になる人は、
もともとが良い人だから、
もともとが優しい人だから、
もともとが強いモラルをもっているから。

だから被害者になるし、自己啓発もするし、
それによってまた苦しむし。

どうせ、真から悪い人にはなれないし、
どうせ、染みついたモラルを捨てられないから、

私を利用する夫に限って、
私は良い人を止めた。
止めたら、自分が好きになっていた。

モラルも捨てる。そこは意識的にやる。

夫を憎む自分が居ても、否定しない。
憎むべきことをしているのだから。

自分を主張しても、反省しない。
私はあなた、じゃない、私は私!なんだから。

否定しない、反省しない、
しなかったら、楽~になっている。

そして、それでいい!と思う。

ルル
ルル
環境は変わんなくても、何かが変わった。
キキ
キキ
凛として!淡々と!私は私!