モラハラ夫 必要ない弁当を「ありがたいと思って作れ」と言う

刻まれた記憶奴隷

持って行かない弁当を私はただ作る

汁物とおかずとご飯が温かく保温される弁当箱を使っている。 5時20分に起きて弁当を作る。6時20分には出来上ってなければいけない。1秒も待たせられない。

雪の日の朝、お弁当を作り始めようと台所に立った。夫が起きてきて窓の外を見ている。

「この雪じゃ、今日は仕事行けねーなぁ。」と、夫が言う。

「えっ、じゃお弁当作らないでいいの?」と、私が聞く。

私を睨みつけて夫が怒鳴る。

「はあ?ありがたいと思って弁当は作れっ!!ありがたいと思って作るんだよ!!」

えっ?って顔はしたと思う。でも、もう逆らうことはしない。直ぐに弁当を作り始めた。
何が気にいらなかったんだろう?質問した声が、弾んでたのかな?
考えながら、持って行かない弁当を私は作る。

持って行かない弁当を何故作らなきゃいけないのか、この無駄な労力は何の意味があるんだろうか、とか疑問は持たず、必要のない弁当をただ作る。

[balloon_right img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/38-60px.png" caption="ルル"]感情を殺すしかなかった…奴隷だね。。。[/balloon_right]

[balloon_left img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/01-60px.png" caption="キキ"]俺の為に尽くせることを幸せだと思え!![/balloon_left]

[balloon_right img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/38-60px.png" caption="ルル"]あっ、言ってたわ、その台詞。いつだか…[/balloon_right]

妻に“楽”はさせない、休みでも弁当は作れ

土曜日は仕事だったり休みだったりする。お弁当のことがあるから金曜日の夜に聞く。明日は仕事なの?休みなの?と。

「はあ?聞いてどうすんの?休みだったらどうすんだよ!!」

お弁当作る、作らないがあるの!っと心の中で返答するしかない。

次の週も思わず聞いてしまう。夫は、同じ台詞の質問返しをするだけ、休みを教えることはしない。

帰りの時間を聞いた時も同じ台詞の質問返し。日曜日の休みを確認した時も同じだった。

だから聞くのを止めた。
出勤も休みも関係なく土曜日は弁当を作る。それでいい。

どういうことなんだろう?私が“楽”をすると思うんだろうか?“楽”をさせたくないと思うのだろうか?

天ぷら事件から夫に口答えをしない。夫婦の醜態を子ども達に二度と見せないと誓った。
今はもう、意見もしない。休みかどうかの簡単な質問すらしない。希望も言わない。

会話にならない。話合いができない。問題解決もない。

不満を顔に出してはいけない。泣いてもいけない。怒鳴られた後も穏やかな顔で返答する。その時に敬語を使ってはいけない。

“ちょっと待って”ではなく“はい”と直ぐに従う。
とにかく夫に従う。だから口喧嘩もない。

主従関係が出来上がる

結婚して数か月過ぎる頃には、完全に主従関係が成り立っていた。この頃はまだ、夫に恐怖は無いが、思考体系、思考回路を何一つ納得できず不思議なまま、歩み寄るしかなかった。

夫は毎日“愛している”と言う。怒鳴り散らした後でも言う。それは屈辱でしかない。私はもうとっくに愛してはいない、“軽蔑”だけだ。

そして、、、私はそんな自分を反省する。完全なモラハラ被害者の出来上り。

まだまだ夫の優しさに期待していた。自分のモラルで夫を見ている。誰もが“良心”を持っていると普通に信じている。“夫のような人”、を“そういう人”、として受け入れた。

“夫のような人”の存在をまだ知らない。本当の意味でまだ知らない。

[balloon_right img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/38-60px.png" caption="ルル"]“人としてのモラル”を誰もが持っていると信じていた…35年間…違う、60年近くだわ…[/balloon_right]

[balloon_left img="https://kikiruru.com/wp-content/uploads/2019/11/01-60px.png" caption="キキ"]その“良心”を利用するのが奴ら。お前に“楽”はさせない!俺の犠牲になれ!![/balloon_left]

刻まれた記憶奴隷

Posted by haru